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人生に困ったときの頼りどころ 例えば宗教 父の死を境に [心の健康]

昨日久しぶりに病院へ行ってきました。定期的な問診です。ソネブロの皆さんの支えがあったおかげで気持ちの持ちようがいい状態です。

ありがとうございます。心の健康について最近書いてなかったのですが、いい機会なのでちょっと書いてみました。

今日は日本人にはあまりしてはいけない話かもしれませんが、心の健康関連として宗教について書いてみようと思います。長文お許しを。

 

私は、宗教の熱烈な信奉者というわけではありません。皆さんに宗教を斡旋しようとは全く思っていません。

逆に、いずれの神をも冒涜するつもりはありません。宗教関係者の方、また神を大切に思われている方からすると、失礼があるかもしれませんが、私が無知であるのだけれど自分の心が救われるために考えたこととお許しいただければと思います。

 

今心が弱っている、自力ではどうして佳いか分からないパニック状態であるならば、人に頼ってみることが回復への近道だと思います。それの一方法が精神科や心療内科の受診やカウンセリングです。

 

まだいろいろ方法はあるのかもしれませんが、もう一つ思いついたのが「宗教」です。

安直に引っ張り出してきたわけではありません。私は3年前に父親を亡くしました。

原因は病ですが遠く離れた郷里にいる母親から、審判が無事終わって家族そろって家で人心地ついていた時のいきなりの電話で唖然となりました。

叔父が支援してくれる中、喪主として、葬儀社、お寺さん、病院、後に残った母のケアをばたばたこなしている中で、お寺さんからの言葉が私の支えになってくれました。

私の宗派は浄土真宗です。比較的新しい宗派ですね。お寺さんが言うには、

「浄土真宗では今生きている皆さん全てが既に極楽往生していますよ。」とのこと。

ではなぜお葬式があるのかというと、「今生きているこの世に残っている者が、改めて極楽往生していることを認識する場です。」らしいのです。

(浄土真宗の事をちゃんと知っている方からおしかりを受けるようなおぼえ間違いをしているかもしれません。その場合訂正いただけると幸いです。)

この言葉で、親父が急にいなくなったという寂しさ、悲しさがかなり和らぎました。

宗教についてもう少し考えてみようかという気になり、仕事に戻ってから図書館で浄土真宗の本を数冊読んでみましたが、今まで毛嫌いしていた宗教が少し身近になった気がしました。

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うつになる人は、私の考えでは、心の持ちようが、

12/17の【パワハラとうつが同じ病気であるという考察 現代型と従来型も同じ?で書いたとおり、

「心の未熟さ」、「生真面目さ」+「性格の弱さ」+ 「自己中心的」

と言う特徴を持っていると思います。その人が「性格が弱い」中、自ら自分の意志で「心の未熟さ」、「自己中心的」である部分を見つめ直し鍛えていくことは難しいことです。

自分を支えてくれる(佳い方向に導いてくれる)人や神のような存在が無い中、独力で道を切り開くことは至難の業ではないかと思います。

 

迷った心を落ち着けるよりどころとして、宗教というものを生かしてみるのも佳いのではないでしょうか。

 

長文にお付き合いいただきありがとうございました。


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